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【旅エッセイ#1】旅嫌いだった私を旅好きにさせたもの

 

旅が好き、と自分の紹介文を書く際には必ず入れ込んでいる。
何が何でも行きたいというほど熱のある「好き」ではないのだが、ある程度まとまった時間が出来たら旅の予定を最初に考える程度には、余暇の過ごし方として優先順位が高い。

とはいえ、実は元々旅行は好きではなかった。むしろ「面倒くさい」と思っていた記憶すらある。
そんな私を、「旅が好き」にしたきっかけは2つある。

1つ目は、高1のキャンプで行った上高地。
この頃の私はまだ「旅は面倒くさい」と思っていて、主体的に動くいうこともなく同じ班の班員が決めたものに従っていたのだが、(理由は忘れたが)上高地では班行動ではなく、私と同じような主体性のないメンバーと二人行動をすることになってしまった。
お互いにやりたいこともなかったため、学校から提示されたモデルコースで一番時間が潰せそうな「明神池へのハイキング」を選ぶのに疑問はなかった。私の人生を変えた旅は、ただ消去法で選ばれただけだったのだ。

明神池へ至るトレッキングコースの道のりは約1時間。
歩き始めて早々に、今までに見たことがないほど美しい自然のとりこになった。
ただの葉っぱが、水面が、こんなにもきらきらするのか、と驚いた記憶がある。
遠くに見える穂高連峰には、その険しい山肌を際立てるようにまだ雪が残っていた。凛々しいその姿をたおやかな緑の森が挟み込み、互いの美しさを引き立てている。空は青く、どこまでも澄み切っていた。

そして1時間ほど歩いて到着した明神池では、神域とはこういうものか、ということを目の当たりにした。
荘厳な、静謐なという単語はこういうことか、鏡のような水面というのはこういうことか、と今まで言葉として知っていたものが眼前に現れて、目からうろこがぽろぽろと落ちた。
鬱蒼とした森の中に薄い光の帯が2つ3つ降りていて、その神秘的な雰囲気の中、二人でただただ立ち尽くした。
(ちなみに私の記憶では明神池は高い木に囲まれて上が開けていなかったのだが、今写真を調べて見ると意外に開けていたので、よほど水面の印象が強かったのだなと思う)

その時まで写真を撮ることもあまり好きではなかったが、この美しさを何とか残したいと、ベストスポットを見つけては夢中でシャッターを切った。それだけでは足りず、売店で絵葉書をいくつも買った。しかし、後日現像した写真も、この時買った絵葉書も、自分が見たあの時の上高地の魅力には全く及ばず、その感動をそのまま人に伝えられないことが悔しかった。何より、あのさわやかな空気や心地よい葉擦れの音、遠くから響く鳥の声…そういったものは、実際に行かないと絶対に経験できないものなのだ、と痛感した。

上高地では、世界にはこんなにも美しい景色があること、そしてそれは実際に自分が行かなければわからないものなのだということを知った。

2つ目は初めての一人旅。
これは元々旅として計画したのではなく、出張があったのだけど諸事情で前後の日程が空いたので、それなら旅をしてみようという形で実現した物。
交通手段と宿泊場所だけ確保して、後はいつどこに行くかも特に決めずに旅立った。

これが驚くほど楽だったのだ。
朝は誰に急かされることもなくゆっくりと起き、食べたいときに好きなものを食べ、気になったものがあれば立ち寄る。
毎日朝の紅茶を飲みながら(この頃はまだコーヒーが飲めなかった)、地球の歩き方や地図を見てその日の行程を考えた。

一人旅って自由なんだということに気づき、その気楽さは、これまでの「面倒くさい」という旅の印象をぬぐい去る物だった。私は、今までの旅で時間を決められて動くことが何より苦痛だったのだ、ということにも気づいた。
初めての一人旅が終わる頃には、すっかり旅が好きになっていた。

上高地の旅も、初めての一人旅も、引っ越しやPCの故障によって写真をすべて紛失してしまった。だから、もう思い出の中でしか振り返ることが出来ない。
それでもこの2つの旅は、私が旅を続ける限りいつまでも特別な旅として心に残り続けている。

旅エッセイ
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